芸能ニュース・漫画・ドラマネタバレなど発信中!!

成瀬 仁蔵 成澤泉のモデルはどんな人?キリスト教との出会いは?広岡浅子へ手紙?

成瀬 仁蔵 成澤泉のモデルはどんな人?キリスト教との出会いは?広岡浅子へ手紙?

11月11日、NHK連続テレビ小説「あさが来た」の追加キャストが発表され、「成澤泉役」 として瀬戸康史さんが出演することが決まったそうです。

1月30日(土)から登場予定だそうです。

成澤泉は、本学創立者成瀬仁蔵さんがモデルだそうです。

広岡浅子さんについても調べました。

広岡浅子 「あさが来た」のモデルはどんな人?夫には側室がいた??許嫁と出会った時の歳の差は??

「眉山はつ」こと三井春さん、「眉山惣兵衛」こと大眉五兵衛さんについても調べました。

三井春 三井浅子の異母姉!ドラマの眉山惣兵衛のモデルは?気になる情報まとめました。

 

成瀬 仁蔵とは

名前:成瀬 仁蔵(なるせ じんぞう)

生年月日:1858年8月2日(安政5年6月23日) – 1919年(大正8年)3月4日)

明治から大正のキリスト教牧師(プロテスタント)であり、日本における女子高等教育の開拓者の1人。

日本女子大学(日本女子大学校)の創設者として知られる。

 

生い立ち

成瀬 仁蔵さんは、1858(安政5)年、周防国吉敷(よしき)村(現在の山口市吉敷)の士族・成瀬小右衛門と歌子の長男として生まれました。

成瀬家は吉敷毛利家に仕える下級武家で、代々その祐筆をつとめ、漢学の素養深く、教育家の家として知られていたそうです。

子どものころの仁蔵は、学問嫌いで、友と活発に川や野山で遊び回り、伸び伸びと育ちました。

一方、厳格な父の下、憲章館(吉敷にあった里の学校)で学び、父の私塾を引き継ぐ。

故郷山口県に教員養成所が設立され、第二期生として入学し「近代教育」について学ぶ。

8歳の時に母親が腸チフス(感染症の一種)で亡くし、16歳のときに弟と父を失い死に向き合う体験をもった成瀬は、1877年、人生を決定づける人物と出会います。

 

キリスト教との出会いと女子教育研究

1877年。父の元塾生で幼馴染の澤山保羅(さわやま ぽうろ)が長い渡米から帰ってきたのですが、澤山保羅は、キリスト教の宣教師になっていました。

成瀬は、話を聞くうちに、「人は平等である」というキリスト教の教えに感銘し、傾倒していきます。

そして、山口を離れ、1878年(明治11年)に大阪の浪花教会で入信します。

その組合教会の運動で同年に設立された梅花女学校で主任教師を務める。

1879年(明治12年)には浪花教会に属し、女学校生徒でもあった旧福井藩士の娘と結婚。

私財を投じて学校経営の維持を図るなど教職には熱心であったが、伝道活動への意思が強く、1882年(明治15年)に卒業生を送ると教職を辞し、牧師としての活動をはじめる。

沢山保羅の浪花教会を拠点に、翌1883年(明治16年)には奈良県生駒郡郡山町(現大和郡山市)の出張伝道所へ移る。

1884年(明治17年)には郡山教会の独立を許されてその初代牧師となり、布教活動をおこなう一方で女子教育を研究する。

その後、病床の沢山から赴任を懇願され、新潟へ移り、1886年(明治19年)には新潟第一基督教会(現・日本基督教団新潟教会)を設立。

翌1887年(明治20年)に私立新潟英学校を基礎に設立された新潟女学校の校長となる。

1890年(明治23年)にはアメリカへ渡り、アンドーバー神学校、クラーク大学で教育学や社会学、キリスト教などを学び、各種社会施設も視察して女子教育研究を行い、1894年(明治27年)に帰国。

 

広岡浅子との出会い

1896年、女性実業家として広く名前を知られている広岡浅子へ面談希望の手紙を送ります。

当時、浅子は47歳、成瀬は、9歳年下の38歳でした。

浅子が面談に応じると、成瀬は女子大学校設立のために賛同して欲しいとお願いします。

浅子は当初はそれほど乗り気ではなかったようですが、渡された成瀬の著書「女子教育」(女子の人格を認めて育成し、男子と同等の教育を与える等)を読み、その教育論に深く感銘を受けます。

そして、金銭面での援助のみならず、女子大学設立の最も力強い協力者となります。

浅子の働きかけで、三井財閥から東京・目白の地(現在地)を寄贈され、1901年(明治34年)、日本女子大学校を創設!

スポンサーリンク




日本女子大学

「日本で最初の日本を代表する女子大学」という意を込めて名付けられた大学。

日本女子大学校では、家事・裁縫などの花嫁修業としか考えられていなかった家政学を学問として教え、理科教育に重点を置き実験・実習を重視した。

また体育を必修としてバスケットボールやダンスなど新しいスポーツを取り入れたほか、教育・社会・哲学・宗教・時事問題など国内外の幅広いテーマを講義する「実践倫理」講義を成瀬自ら行った。

「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」

は、成瀬さんが晩年に残した教育理念です。

創立当初より自発性を重視した教育方針は現在の日本女子大学に受け継がれています。

「多岐にわたる学部を備えた総合大学」を思い描いた成瀬の夢を受け継いで、家政、文、理、人間社会の4学部に15学科を擁する日本有数の女子大学に発展しました。

最後に、成澤泉役に抜擢された、瀬戸康史さんについて調べたいと思います。

 

プロフィール

名前:瀬戸 康史(せと こうじ)
生年月日:1988年5月18日
出身:福岡県福岡市博多区生まれ、同県嘉穂郡稲築町(現:嘉麻市)出身
身長:174cm
血液型:A型
所属:ワタナベエンターテインメント

同事務所所属の若手男性俳優集団D-BOYSのメンバー

D-BOYSの中から選ばれた5人組ユニット『D☆DATE』のメンバーでもある

妹が2人おり、うちひとりは元『non-no』モデルで現在、女優の瀬戸さおり。

2005年7月、「第2回D-BOYSオーディション」で準グランプリを受賞。

同年12月にD-BOYSに加入し、芸能界デビュー。

 

2006年8月、『ミュージカル テニスの王子様』のゴールデンペアーの菊丸英二役で注目を浴びる。
2008年1月、 平成仮面ライダーシリーズの9作目となる「仮面ライダーキバ」の主人公・紅渡役を務め、知名度を上げた。
2008年8月、テレビドラマ版「恋空」の主人公・ヒロ役に起用される。
2010年3月、D-BOYSの中から選ばれた5人組ユニット『D☆DATE』のメンバーとなる。
2011年、NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』に森蘭丸役で出演、時代劇に初挑戦。
2014年1月24日放送、ABCテレビ『D-BOYS 10th Anniversary Project ショートフィルムフェスティバル』で15分のショートフィルム『10年目の告白』で初監督をつとめる。
2015年、主演映画『合葬』が第39回モントリオール世界映画祭のワールド・コンペティション部門に正式出品され、9月3日(日本時間4日)の上映に先立つ舞台あいさつには和装で登場した。

 

「視聴率が好調なので、自分が出てから、あれ? みたいになったらどうしよう」とコメントをされていましたが、さらに面白くしてくれそうですよね。

 

楽しみです。

あさが来たカテゴリの最新記事

error: Content is protected !!