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金子稚子(金子哲雄の妻) 夫からだされた宿題とは?何の病気だった?自ら葬儀をプロディース?

金子稚子(金子哲雄の妻) 夫からだされた宿題とは?何の病気だった?自ら葬儀をプロディース?

7/15(金)19:00放送の「爆報!THEフライデー」に金子稚子が出演されます。

金子稚子さんって?

と思って調べてみたら、金子哲雄さんの奥様だそうです。

金子哲雄さん・・・・2012年に41歳という若さでお亡くなりになりました。

ニュースで知ったときには、本当に驚きました。

病名は、肺カルチノイド。

そして、病衣だった金子哲雄さんを支えていた奥様の金子稚子さん。

どんな方だったのでしょうか?

 

プロフィール

名前:金子 稚子(かねこ わかこ)
生年月日:1967年
出身:静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)
学校:静岡女子短期大学 卒業
夫は、流通ジャーナリストの金子哲雄さん

学校を卒業後、雑誌や書籍の編集者や、広告制作のディレクターを務める。

現在は、「ライフ・ターミナル・ネットワーク」の代表。

「日本医療コーディネーター協会」の顧問。

「終活ジャーナリスト」

 

金子哲雄さんの死

『金子哲雄の妻の生き方 夫を看取った500日』という本を出されています。

2011年6月、夫の金子さんは死の病を宣告される。

金子哲雄さんは、2012年10月に自宅で亡くなる当日まで仕事を続けるという道を選ばれました。

「死んだらどうなるのかな」と金子さんは、稚子さんに何度も何度も投げかけたそうです。

稚子さんは、黙って金子の背中をさするしかありませんでしたと話されています。

夫が「死にたくない」と言ったら、多くの妻は「そんなこと言わないで」と

うろたえるかもしれない。「もっと頑張って」とはげましてしまうかもしれない。

「でもそれは、大切な人との間に決定的な線を引いてしまうこと。あなたと私は

違うと縁を切ってしまうことなんです。

と話されています。

稚子さんは、一度だけ、病気がわかった直後に「死なないで」という言葉を言ったそうです。

金子哲雄さんは手を握り『当たり前だ、必ず稚ちゃんを守るよ』と言ったそうです。

そして、それ以降、「二度と言うまい」と誓ったそうです。

病気と闘うのは金子哲雄さんなのに、自分の悲しみを投げつけてしまったと思われたそうです。

稚子さん、すごい人ですね。

本当に、自分の事を投げつけている場合ではない。そうですよね。

でも・・・・分かっていても・・・・そんな風にできるかな・・・・。

実際、お見舞いに来た人に「あきらめないで頑張って」と言われるたびに、

「これ以上頑張れないんだよ」と金子哲雄さんは元気をなくされたそうです。

金子哲雄さんが、亡くなった後は祭りの後の真っ暗な夜。

音のないシーンとした中で時々、発作のような恐怖や悲しみに襲われ、寝たきりだったり、

起きたきりだったりのような状態がしばらく続いたと話されています。

でも、いつまでもそうしていられない。

金子哲雄さんは、稚子さんが困らないよう、たくさんの宿題をだされました。

お礼参りや遺作となる著書の出版作業の引き継ぎなど。

さらに、「ただちに引っ越せ」という金子哲雄さんの指示があり、1人暮らし

を始めるための新居に移られました。

「死は終わりではない」「夫はいつも私のそばにいる」と感じることで、立ち上がる事ができたそうです。

そして

死に直面した人の痛み、周囲の人の苦しみに寄り添いたい。

「死ぬことは生きることと同義」だと伝える

という思いで、終末期にある患者や患者家族の支援「ライフ・ターミナル・ネットワーク」を始められました。

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金子哲雄さんの死因

病名は、肺ガンの一種である肺カルチノイドというもの。

肺癌の中でも比較的稀な低悪性度の腫瘍として扱われている。

臨床的に進行が遅いが局所浸潤やリンパ節転移、血行性転移を起こすことがあるため悪性腫瘍に準じて取り扱われている。

とありました。

症状としては、管腫瘍に似た症状。

主に締めつけるような痛みと、閉塞の結果として便通の変化が現れる。

金子哲雄さんは、顔のむくみと喘息に似た咳に悩まされ病院にいったそうです。

そして、言われた言葉は「単刀直入に言うと、末期の肺がんです。」という言葉。

さらなる精密検査の結果

がんに似た「肺カルチノイド」という病気であることが判明。

治療法がないとされるタイプのカルチノイドだったそうです。

そして、そのことは、家族や一部の関係者、医師でタレントのおおたわ史絵さん

ぐらいにしか話されていなかったそうです。

廊下で、「僕こんなに元気なんですよ。どこも具合悪くないのに変でしょ」と

おおたわ史絵さんに話されたそうです。

明るく振舞ってはいたけれど、

「死ぬのが怖いんです」

「そろそろ人生のカウントダウンをしているように感じます。今やってることを一生懸命やって

立派な千秋楽を迎えたいと思います」

というメールを送られていたそうです。

 

死ぬ前には、自分で葬式をプロディース

「今回、41歳で、人生における早期リタイヤ制度を利用させて頂いたことに対し、

感謝申し上げると同時に、現在、お仕事事情にて、お世話になっている関係者のみなさまに、

ご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます」

という礼状も自分で作成されていたそうです。

死ぬ直前まで、周りに感謝を伝えられる人って本当にすごいですね。

調べれば調べるほど、涙が出てきます。

手紙の全文
このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。
もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。
今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。
このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。
急ぎ、書面にて御礼まで。
平成24年10月1日
流通ジャーナリスト 金子哲雄

そんな素敵な金子哲雄さんが愛された奥様の金子稚子さん。

すごく素敵な方なんでしょうね。

 

涙なしにみれるかな・・・・。

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