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真田丸 キャストは?きりは側室?真田信繁ってどんな人?真田丸って何?気になる情報をまとめました

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2016年の大河ドラマは、「真田丸」ですね。

1月10日(日)スタートです。

主演は、堺雅人さん

脚本は、三谷幸喜さん

です。

三谷幸喜さんは、新選組以来の脚本ということもあり、注目されています!!

現在発表されているキャスト

真田信繁(真田幸村)・・・・・・・・・・堺雅人
きり(真田信繁の生涯のパートナー)・・・・・・・・・・長澤まさみ
梅(真田信繁の初恋の女性)・・・・・・・・・・黒木華
真田信之(真田信幸)(真田信繁の兄)大泉洋
松(村松殿)(真田信繁の姉)・・・・・・・・・・木村佳乃
真田昌幸(真田信繁の父)・・・・・・・・・・草刈正雄
薫(山手殿か?)(真田信繁の母)・・・・・・・・・・高畑淳子
とり(真田信繁の祖母/真田幸隆の正室で河原隆正の妹・恭雲院?)・・・・・・・・・・草笛光子
小松姫(兄・真田信之の正室)・・・・・・・・・・吉田羊
高梨内記(きりの父)・・・・・・・・・・中原丈雄
堀田作兵衛(宏梅の兄)・・・・・・・・・・藤本隆
佐助(猿飛佐助)(真田信繁に仕える忍者)・・・・・・・・・・藤井隆
出浦昌相(出浦盛清)(真田家の忍者を操る)・・・・・・・・・・寺島進
室賀正武・・・・・・・・・・西村雅彦
矢沢頼綱・・・・・・・・・・綾田俊樹
矢沢頼幸(矢沢頼康、矢沢三十郎頼幸)・・・・・・・・・・迫田孝也
小山田茂誠・・・・・・・・・・高木渉
真田信尹・・・・・・・・・・栗原英雄
侍女・・・・・・・・・・岡村いずみ
おこう・・・・・・・・・・長野里美
与八・・・・・・・・・・今野浩喜
徳川家康・・・・・・・・・・内野聖陽
阿茶局(徳川家康の側室)・・・・・・・・・・斉藤由貴
本多正信(徳川家の名参謀)・・・・・・・・・・近藤正臣
本多忠勝(徳川家の猛将で小松姫の父)・・・・・・・・・・藤岡弘
服部半蔵・・・・・・・・・・浜谷健司
石川数正・・・・・・・・・・伊藤正之
織田信長・・・・・・・・・・吉田鋼太郎
織田信忠・・・・・・・・・・玉置玲央
上杉景勝・・・・・・・・・・遠藤憲
直江兼続・・・・・・・・・・村上新悟
北条氏政・・・・・・・・・・高嶋政伸
北条氏直・・・・・・・・・・細田善彦
板部岡江雪斎・・・・・・・・・・山西惇
滝川一益・・・・・・・・・・段田安則
武田信玄(亡霊)・・・・・・・・・・林邦史朗
武田勝頼・・・・・・・・・・平岳大
小山田信茂・・・・・・・・・・温水洋一
穴山梅雪・・・・・・・・・・榎木孝明
跡部勝資・・・・・・・・・・稲荷卓央
木曽義昌・・・・・・・・・・石井愃一
明智光秀・・・・・・・・・・岩下尚史
豊臣秀吉・・・・・・・・・・小日向文世
北政所・・・・・・・・・・鈴木京香
千利休・・・・・・・・・・桂文枝
小早川秀秋・・・・・・・・・・浅利陽介
加藤清正・・・・・・・・・・新井浩文
片桐且元・・・・・・・・・・小林隆
茶々(淀殿)・・・・・・・・・・竹内結子
石田三成・・・・・・・・・・山本耕史
大谷吉継・・・・・・・・・・片岡愛之助
豊臣秀次・・・・・・・・・・新納慎也
豊臣秀頼・・・・・・・・・・中川大志
大蔵卿局・・・・・・・・・・峯村リエ
春日信達・・・・・・・・・・前川泰之
長崎基家・・・・・・・・・・松田賢二

真田信繁(幸村)

永禄十年(1567)?~慶長二十年(1615)
※誕生については、明確な記録がなく、1567年に生まれたという説と1570年に生まれたという説があり、確定していない。

幼名弁丸。通称名源次郎。

上田城主真田安房守昌幸の次男。

母は京都の公家正親町家の娘。真田昌幸の正室・山手殿。

信繁という名前は、「川中島の戦い」で武田信玄をかばって戦死した、信玄の弟・武田信繁を敬慕して父である、
昌幸がつけたようです。

1575年6月29日、信繁が8歳の時、「長篠の合戦」で武田軍は敗北。

この戦で父の2人の兄も討死。1582年には「天目山の戦」で信玄の子・勝頼も自刃。

主君の武田家は滅亡する。

武田が滅び、次は誰を主君にするか考え、信長に接近し、独立大名への道を模索するが、3ヵ月後に信長も本能寺の炎の中で亡くなる。有名な本能寺の変です。

その後は、織田家➔北条家➔徳川家➔上杉家➔豊臣家と主君を変え、戦国の世を渡るために試行錯誤します。

1590年 豊臣秀吉が天下統一!

真田も徳川も同じ主君のもと仲良くしようと、兄、信之が徳川軍、本田忠勝の娘を嫁にする。

幸村は豊臣軍、大谷吉継の娘を嫁にする。

1600年 第二次上田合戦

秀吉が死ぬと、また徳川と豊臣が対立。

昌幸、信繁は豊臣軍(西軍)信之は徳川軍(東軍)に所属。

天下分け目の関ヶ原の戦い開戦前に、上田城周辺にて、2000程度の兵で徳川秀忠軍3万8千を足止めする。

結果、秀忠軍は本命の関ヶ原に遅れる。

昌幸の知略により、東軍の関ヶ原での戦力を大きく削る。

ただ、結果として、関ヶ原では西軍が負けてしまい、昌幸、信繁は九度山に謹慎処分となる。

1611年、昌幸が病気で亡くなる。

幕府と豊臣家の関係が険悪化すると信繁は、九度山から脱出。

浪人として大坂城に身を寄せ、大坂の陣に参加することになる。

この時に、真田幸村となのったとか?

1614年 大坂冬の陣

大坂城に籠城する豊臣秀頼と攻める徳川家康の最終決戦!

東西180メートル、出口は背後の大坂城側と東西に一つづつ。

東西南の三方向に堀と塀を、その外側には三重の柵を作り、大軍を見事に防いだ。

この防御をした出城がドラマのタイトルにもなっている「真田丸」だそうです。

大坂冬の陣は、最終、家康が豊臣側に和議(仲直り)を持ち出し、秀頼の母、淀殿が勝手に応じたとか。

開戦後、真田丸における戦いで徳川勢に大打撃を与えた信繁は、家康から「こちらに来ないか?」とスカウトされるぐらいだったそうです。

1615年 大坂夏の陣

冬の陣で、和解成立後、難攻不落だった大阪城は攻めやすい裸城になってしまいます。

無理難題を提示してくる徳川に我慢できず、再び戦うこととなります。

籠城策も使えず、兵力は、豊臣7万に対し徳川15万5千。

完全な劣勢状況。こうなると総大将家康を倒すしかない・・・と。

信繁は3千の兵で家康本陣へ3度の特攻。そして、本陣へたどり着く!!

家康が本陣に攻め込まれたのは、武田の三方ヶ原の戦いとこのときの2回だけ!

しかし惜しくも家康の首をとることは出来ず、怪我をした信繁は休んでいるところを敵兵に刺され、その生涯を閉じます。

真田信繁の伝説的な猛攻は「敵ながら天晴れ」と家康に評価される程だったそうです。

真田としては、父の方が有名で、父が活躍中は、どちらかというと、人質として敵のところにいる事が多かった真田信繁。

真田信繁が有名になり、評価されたのは、大坂の陣からのようです。

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正室と側室

正室は、竹林院。

子供は、
長男:幸昌(大助)
次男:大八(片倉守信)
四女:あくり
六女:阿菖蒲
七女:おかね

九度山に幽閉された際に竹林院も信繁に同行。

その際、彼女はこの地で地元の紬技術をアレンジした「真田紐」という紐を考案、それを家臣に行商させてお金を稼ぎ、生活の糧にしていたとされています。

1614年に信繁が大阪城に入った際、竹林院は九度山に残る道を選びます。

息子の真田大助に、
「再び生きて会いたいのは山々なれども、私達のことは案ずることなく、御父上様と生死を共になさいますように」

といったのだとか。

なかなか、素敵な奥様!

と思ったのですが、今回キャストをみると、

きり(真田信繁の生涯のパートナー)・・・・・・・・・・長澤まさみ

とあります。

生涯のパートナーは、正室の竹林院ではないようです。

きりは、側室の一人だったようです。
側室は、
側室:豊臣秀次娘・隆清院
側室:堀田興重娘
側室:高梨内記娘

だった様子。もう一人いる?との情報も・・・。

きりは、「高梨内記の娘」の事のようです。

側室は、正式な名前が不明のようで、「きり」という名前もドラマオリジナルの名前なんだとか。

そして、高梨内記は、真田信繁の父・昌幸の代から仕える重臣。

昌幸が幽閉された九度山に同行した16人の1人でもある忠臣だったそうです。

きりは、子どもの時分から信繁と親しく、最終的には側室となっていくそうです。

ドラマでは、どんな役が気になります。

 

2016年大河ドラマ「真田丸」楽しみです。

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