真田丸、次はいよいよ、上杉景勝に帰属を申し出ることになるのではないでしょうか?
ということで、上杉景勝について調べてみたいと思います。
真田丸では、遠藤憲一さんが演じられています。
上杉家キャスト
◾上杉景勝役
遠藤憲一さん
上杉景勝は、偉大な先代謙信の背中を追うあまり己を律すること激しく、とにかく無口・無表情であったと有名でとありました。
「生涯で笑ったのは一度だけ」だとか。
確かに真田丸でも、難しい顔をずっとしているけど、笑顔はないです。
◾直江兼続役
村上新悟さん
上杉景勝の側近。
直江兼続といえば、愛の武将といわれていますが、真田丸では違うようです。
調べてみたら、直江兼続は、合理的かつ自分に素直な男で、意味のないことはしない男であったとありました。
なので、愛というより、今のクールな感じの人物だったのかな?とも思います。
ネット上では、村上さんの声が良いと評判のようです。
◾春日信達役
前川泰之さん
春日信達は、武田家の重臣。父親は香坂弾正。
武田家滅亡後に織田家に仕えるが本能寺の変を機に上杉景勝に仕える。
真田丸では、第八話 調略で殺されてしまいました。
景勝は、上杉をささえてくれる男だと思っていたと言っていました。
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上杉景勝は
上杉景勝は弘治元年(1555)、越後魚沼郡上田城に生まれる。
幼名は喜平次顕景(きへいじあきかげ)。
父は長尾越前守政景(ながおえちぜんのかみまさかげ)、母は長尾信濃守為景(ながおしなののかみためかげ)の娘で、謙信の姉にあたる。
父政景は景勝が10才の時に亡くなり、叔父の謙信のもとで育てられる。
謙信は妻も子もいなかったため、喜平次を養子にする。
天正3年(1575)1月11日、喜平次が21才の時、姓名を上杉弾正少弼景勝(うえすぎだんじょうしょうひつかげかつ)と改め、世嗣と定めた。
天正6年3月13日(1578年)。上杉謙信が亡くなる。
謙信には景勝の他に、上杉影虎という養子がいました。
影虎は北条家から来た人質で、北条氏政の弟です。
人質としてきたが、謙信に気に入られて養子になったようです。
謙信は景勝と景虎のどちらが後継者か決めずになくなってしまいます。
そして、景勝と景虎の間で上杉の家督争いが起こります。
上杉家を真っ二つにした内乱(御館の乱)は、天正6年から8年まで続きました。
景虎には、実家である北条家、北条と同盟を結んでいた武田家、関東・上杉家の支持がありました。
景勝には直江信綱、斎藤朝信、河田長親など謙信に仕えた重臣クラスが味方しました。
景勝が武田勝頼との同盟を結び、勝頼の仲裁で、景勝と景虎は和睦。
勝頼がいなくなると、また景勝と景虎は対立という状況だったようです。
景勝は景虎と味方勢力との連絡を絶って孤立させ、年を越して、総攻撃をかけ攻め落としました。
景虎は逃亡中に家臣の裏切りに遭い亡くなったそうです。
戦いに勝ち、当主となったが、国中の反対勢力を沈めるのに1年以上かかります。
そして、上杉家を真っ二つに分けて3年も戦ったことにより、兵力は大きく減っていました。
武田家と同盟し、武田勝頼の異母妹、菊姫と結婚。
1580年、織田との対立。
織田家の部将で、越前国、加賀国、能登国、越中国までも勢力下に置いていた柴田勝家の侵攻を受ける。
1581年、新発田重家の乱
北越後の新発田重家が、御館の乱の恩賞への不満から謀反。
滅亡の危機にあった上杉ですが、本能寺の変で織田信長が死去したことにより、滅亡の危機がさる。
その後、北信濃に侵攻して北条氏直と争うが、北信濃4郡の割譲を条件に講和した(天正壬午の乱)。
羽柴秀吉が柴田勝家と対立した時に、景勝は秀吉との同盟を選ぶ。
この時諸国よりもいち早く秀吉の手を取った事から、秀吉が天下を握ると豊臣政権の重鎮の一人となった、
後年豊臣五大老のひとりと呼ばれることになる。
大老の中でも最も強大な力を握っていた徳川家康の抑えるため、越後から会津へと国替えを命じられた。
この国替えで全国第二位の領地を持つ大大名となるが、父祖の地である越後を離れさせられるのは、複雑な思いがあったそうです。
1598年、秀吉の死後、家康にとって、江戸の背後に位置する会津の大大名は邪魔だった。
景勝が会津領内で城の補修や新しい城の建設に乗り出すと、謀反の疑いありと、家康は上杉家討伐の軍を起こして会津をめざす。景勝も迎え撃つために、石田光成を初めとする諸大名と通じ、策をねる。
家康は、石田三成が反家康派の大名と旗揚げした事を知り、直ちに進軍を中止。
「今回の事は家康が仕掛けて来た事であり、家康が引いた以上はこちらも引き返すのが道理である。それを破れば先代の教えを否定する事になる」と追撃はしなかった。
西軍方として東軍方の伊達政宗や最上義光に攻撃を仕掛けた(慶長出羽合戦)が、関ヶ原の戦いで東軍の勝利となり、家康に降伏することを余儀なくされる。
1601年、出羽庄内、会津を没収され、30万石の米沢へ減移封される。
以降は領内の立て直しおよび米沢藩の藩政確立に尽力。それにより、江戸幕府との関係を徐々にだが着実に改善していく。
慶長9年(1604年)に正室・菊姫が死去。
同年5月には側室・桂岩院との間に嫡子・上杉定勝(後の米沢藩2代藩主)が生まれる。
1614年の大坂の陣では家康側の将として参陣。
鴫野・今福の戦いで自軍に倍する豊臣方を退ける活躍を見せることで、上杉の武名を高めた。
元和9年(1623年)3月20日に米沢城で死去。享年69歳。
真田丸の遠藤さん演じる景勝は個人的には大好きです。
学生の頃は、大っ嫌いだった歴史も、ドラマをみて興味を持てるなんていいことだと我ながらおもいます。
真田丸、楽しみです。