芸能ニュース・漫画・ドラマネタバレなど発信中!!

尾崎裕哉 父の尾崎豊さんが亡くなった26歳でアーティストの第一歩!!父親の死因や母親についても調べました。

尾崎裕哉 父の尾崎豊さんが亡くなった26歳でアーティストの第一歩!!父親の死因や母親についても調べました。

故尾崎豊さん(享年26)の長男、尾崎裕哉さんが、大阪・ミナミのライブハウス「DROP」で、初ライブを行ったそうですね。

すべてオリジナルで5曲を披露されたとか!!

GパンGジャン姿で、首には尾崎のネックレスが光っていたそうです。

超満員250人ファンの方達が集まられたそうです。

 

お客さんも、(父の)世代の方も多かったと答えられています。

尾崎豊さんが亡くなったのは、26歳の時。

そして、息子さんは現在26歳になられたんですね。

尾崎豊さんが亡くなられた時は、本当に驚きました。

尾崎豊さんの歌を聞いたのは、亡くなられた後になってからの方が多いです。

そんな尾崎豊さんの遺伝子が受け継がれている息子さんはどんな方なんでしょうか。

プロフィール

名前:尾崎 裕哉(おざき ひろや)
生年月日:1989年7月24日
出身:東京都

エフエムインターウェーブのDJ

音楽ユニット・Crouching Boysの元メンバー

尾崎豊さん(ロックシンガー)の長男として東京都に生まれる。

1992年4月25日、2才の時、父・尾崎豊さん死去。

幼少時代を母親と共にアメリカ合衆国・ニューヨークで過ごす。そのため英語が堪能である。

尾崎豊さんが亡くなられた時は、2歳だったんですね。

亡くなったのは2歳だったため記憶はあまりない。

しかし母・繁美さんから聞く当時の裕哉さんは、父の歌声を真似ることが大好きな子供で、そんな姿に尾崎さんは「お前もミュージシャンにしてやるぞ」と話しかけていたというエピソードを話されています。

父親が残してくれた曲も僕の宝物と話されていた事も!!

尾崎裕哉さんは「ANA アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カード」のCMで「I LOVE YOU」をカバー。父親そっくりの歌声が話題になりました。

今回も、お父さんと同じ歌声に泣きそうになったという感想も!!

14歳、15歳の頃にはHIROという芸名で父親の歌を歌われたりもしていたそうです。

ラジオでは、

「このラジオを通じて、父親のファンの方々と、たくさんお話しする機会や、想いを知る機会が出来て本当に嬉しいです。

彼への思いを聞くことで、皆さんが抱いている尾崎豊のイメージを知ることができる気がします。

そして、その皆さんのリアルな感情を通じて、僕自身も父親のイメージを膨らますことができる。」

と話されていました。

リスナーは、10代から60代の方々と非常に幅広いそうです!

英語もペラペラだし、他の道に進むという選択もあっただろうけど、お父さんと同じミュージシャンとして、お父さんである尾崎豊さんと同じくライブハウスからアーティストの第1歩を踏み出されたんですね。

26歳になった理由は、「大学の勉強が好きになっちゃって。卒業後、音楽の道を選ぶまでに、何か、社会にメッセージを発信していく方法は音楽だけじゃない。何がいいのか、ずっと考えていたらこの年になった」と笑って答えられたとか。

父の豊さんは少年少女が抱える心の葛藤や恋愛の曲が多かったですが、裕哉さんは主に人種問題や貧困問題や環境など、父よりもより抽象度の高いテーマを中心に音楽を通して伝えていきたいと明言されています。

大学1年だった「4~5年前から」楽曲制作を始めたそうで、今後はCDデビューに向け、制作活動に入るそうです。

そんな偉大な尾崎豊さんについても調べてみたいと思います。

 

尾崎 豊 プロフィール

名前:尾崎 豊(おざき ゆたか)
生年月日:1965年11月29日 1992年4月25日に亡くなる
出身:東京都練馬区
血液型:B型。

日本のミュージシャン、シンガーソングライター。

高校在学中には喫煙やオートバイでの事故などで停学、さらに、高校3年生の時に渋谷で同級生達と飲酒した挙句、同じクラスの女子生徒が一気飲みをし急性アルコール中毒で搬送、さらに大学生のグループとパトカーが出動するほど乱闘騒ぎを起こし、無期限停学処分を下される。

これがオーディションを受ける契機となる。

そして、青山学院高等部を自主退学。

1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビュー。

1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に 多くの人から共感を呼び、カリスマ的存在となる。

1992年4月25日の早朝に、当時の尾崎豊さんの自宅のマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見される。

通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれるが、診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断。

入院を勧められたが、尾崎さんは妻と兄ともに自宅マンションに戻る。

0時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。

搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡。

最期の言葉は「僕、本当に勝てるかな」だったという。

死亡時、警察から発表された尾崎さんの死因は「肺水腫」でした。

酒を飲みすぎて肺に水が溜まったため、呼吸困難に陥ったものと見られていた。

その後、尾崎さんの体内から検出された覚醒剤に言及した司法解剖の結果が記載れた「死体検案書」のコピーがマスコミに流出する。

致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用―オーバードーズ(薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付けられている。

こういった状況での突然死だった為、他殺説も出ました。

警察は、事件性はないと判断されたそうですが、納得いかないファンは多かったようです。

10万人近くファンの署名を集めた再捜査嘆願書が警察に提出されたとか。

結局、受理はされなかったようです。

傷だらけだった理由は、空き地で倒れているのを発見されたとき、裸で地面に体をこすりつけて、
のたうち回っているのを目撃して人がいるという情報があったようです。

地面に顔をたたきつけていたとか。だれかと争っているのを目撃した人もいないそうです。

そして、15年たち、ある元暴力団の方が「尾崎は俺が殺した」と言う記事が出ました。

元暴力団の人は、これからあの日(尾崎豊が死亡した日)の真実をあんたに話す。だけどいいか、同じ質問に二度は答えない、それと今から話す事はあくまでも俺の”単なる戯言”だと思って聞いてくれ、それから録音も写真も一切ダメだ、絶対に嘘は書かないで欲しい。
といって話をしたという内容です。

記事の内容は、暴力団から呼び出され、大量の酒と、大量の覚せい剤を投与された上、暴行を受け放置されたという内容のようです。

こういった情報が、またしても、本当の死因は何?と疑問にさせますよね・・・・。

警察の方は、拳で殴られた痕ではない。事件性はないと判断されていますが・・・・。

スポンサーリンク




遺書が二通発見、公開される

一つは、尾崎さんがいつも持っていたセカンドバッグの中。

先立つ不幸をお許し下さい。

先日からずっと死にたいと思っていました。

死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、

そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。
(中略)

さようなら 私は夢見ます。

もう一つは、尾崎さんのお母さんの遺影の脇に置かれていたそうです。

尾崎繁美となりたもうた女神よ

いまの悲しみに真のあなたの美しき華麗な優しさを覚えます。

やがて、この暮らしを鏡として、そしてあなたを求愛し、貴方を幸せに導きます。

私たちの会いに育まれる天使悠哉を、天命のもとに敬愛します。

あなたは天命たる天女、そして天命たる女神、子はその道のもとに生まれたる天使。

やがて世の幸を待つ人々にとって使徒となるものたちが、私たちのために幸働く日が来るでしょう。

その日のためにあなたをこよなく愛します。

あなたを生涯守ります。

あなたに世界、そしてこの世の全ての幸せとなる尾崎豊より捧げます。

天の女神、そして天の使徒を守る天の子、そして幸を待つ人々のために。

繁美、あなたは本当に女神なのですよ。

裕哉、君は間違いなく天使なのですよ。

私はただあなたを愛する名の神でありつづける。

皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。

 

これは、遺書ではないという声も多数ありました。

確かに、遺書というより、詩?のような感じですね。

ジャーナリストの加賀孝英氏が、「文藝春秋十二月号」に遺書を掲載した際、死亡する20日前の92年4月5日、尾崎さんが「俺と一緒に死んでくれ」などと夫人に迫ったが、長男のことを夫人が口にすると、尾崎さんは「その場にへたりこんだ」というエピソードも書かれていました。

「他殺説」も否定されています。

ただ、この遺書も本物?偽物では?とうい声があるようです。

というのも、尾崎豊さんのお父さんが、

「豊が遺書を書いてたって? 見たことは一度もないねぇ。これ、本当の遺書なの?」
「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」

と言ったという事からのようです。

そして、裁判所から偽物だと判断されたという情報も・・・・。

尾崎豊さんの息子である、尾崎裕哉さんを売り出す為に出した?という話もありますね。

 

母親はどんな人

尾崎豊さんの奥様ですね。

名前:尾崎繁美
生年月日:1968年3月12日

出会いは尾崎がNYに旅立つ壮行会の席だそうです。

当時、繁美さんは、18歳。

二人は、1988年5月12日入籍。

という情報がありました。

「親愛なる遥いあなたへ―尾崎豊と分けあった日々」という著書も出されています。

尾崎豊さんの死は、何度も書きますが、警察は事件性はないと判断されています。

ただ、奥さんが死に関係しているのでは?という話までありました。

本当に、影響力のある方だったのと、突然の死だった事、また体中アザだらけで亡くなられた写真が出回っていた事などから、いろいろな憶測が・・・・。

調べていけばいくほど、何が本当の情報か・・・・。

ただ、正式な情報は、やはり警察の方が発表されている情報なのでしょうか。

 

斉藤由紀さんとの関係

91年の1月6日に、尾崎豊さんと斉藤由紀さんの不倫旅行がフライデーされたそうです。

尾崎豊の父から夫人の家族を尋ね「息子の為に二人を別れさせたい」と話、数日後尾崎豊さんは夫人をホテルの一室に呼び出し別れたいとの思いを告げた。
理由は、斉藤由紀さんと付き合う為とありました。

離婚調停を始めて半年たったある日、尾崎豊さんは 斉藤由貴に一方的に別れを告げ、夫人を呼び出し「よりを戻したい」と説得したとの事。

いろいろと調べましたが、尾崎豊さんの歌は素晴らしいと思っている人はたくさんいます。

 

そして、息子さんの尾崎裕哉さんの歌も素晴らしいという方はたくさん。

 

これからの活躍に期待をしたいです。

芸能ニュースなどカテゴリの最新記事

error: Content is protected !!