カンブリア宮殿に、600以上の特許を持つ社長・島正博さんのお話だそうです。
600以上って凄すぎです。
超有名ブランドまでが島精機の編み機を使っているって気になります。
ということで、島正博さんについて調べてみたいと思います。
プロフィール
名前:島 正博(しま・まさひろ)
生年月日:1937年3月10日
血液型:A型
出身:和歌山県和歌山市
学校:県立和歌山工業高校定時制を卒業
日本の実業家・発明家。
島精機製作所代表取締役社長
10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得!
高校卒業後の1962年に島精機製作所を設立。
1995年に画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した!
現在600以上の特許の持ち主。
同社製のコンピュータ制御横編み機は世界シェア60%以上、約3分の2。
幼少時代から観察力がすごい!
8歳のとき和歌山市で終戦を迎える。
空襲によって家は焼け落ち、お父さまはニューギニアで戦死。
10歳のときに、クモの巣を見ていたら、クモはかかった虫をつかむと、再び真ん中に戻ることに気づく。
小さい頃から気づく観察力がすごかったようです。
どこに餌が来ても真ん中に戻るのが一番の近道という、原点に戻ると全体が把握できる。するとその先も見えてくるそうです。
事業の原点は肉????
事業の原点は、戦後は食べるものがなく、すき焼きやステーキの匂いだけで現物は食べられなかった。
一度でよいから肉を食べてみたい。そのためには何か考えないといけない、つくらないといけないと思ったところがスタートだそうです。
はじめは肉までいかず、よくウナギを獲りに川に行ったそうです。
島さんは、うなぎ釣りの名人だそうで、しかけも自分で考えて作っていたそう。
一度に50匹も100匹も捕まえていたそうですよ!
この頃からすでにモノづくりの達人!だったようです。
でもウナギは季節によるし毎日捕れない・・・・。丁稚(弟子)に行っていた機械工場で発明すればステーキが食べられるだろうと、発明し出したんだそうです。
まさか、肉だとは思いませんでしたが、食べ物がなかった戦後。
何よりも強い意志を持てることだったんでしょうね。
そして、この時に丁稚に行っていた親方さんも、戦前に専門特許を何件か持っていて自分で発明する人だったそうで、一方的に押さえ付ける人ではなかったのもよかったようです。
世界の3分の2
世界のニット製品の3分の2を島精機の製品で作られているそうです!!
その名も、ホールガーメント!!!
ホールガーメントは、最先端のコンピュータ編機とデザインシステムを使って容易にプログラミングと編成が可能。
仕上がりは、理想的な着心地、フィット感!!
さらにニットウェアそのものの美しさを引き出してくれるそうです。
そんなすごいのに、無駄生地もつかわず、人件費もカットできる。
そりゃ、みんな使いますよね。
お値段は???
1000万以上!!!!
それでも、使われるんです!!
スーパーブランド、トップブランドになるほど、島精機の製品を使っているそうですよ。
トップブランドって、どこ???と思ったら
ベネトンが、グッチが、アルマーニ・・・などなど!
というか、3分の2がホールガーメントで作られてるってことは、ほとんどのブランドで使われてるってことですよね。
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島和代さんと結婚されていました。
残念なことですが、2013年の6月に心不全のため亡くなられたそうです。
亡くなった島和代さんは、島正博さんが経営する島精機製作所出資の関連会社、和島興産の社長として、島精機のニット製品を展示販売する「ファクトリーブティックシマ」や、マンション経営などを手がけられていたそうです。
2007年には、和歌山市本町に複合商業施設「フォルテワジマ」としてオープンさせ、和歌山市中心部の活性化にも貢献されたんだとか。
島社長の奥さまが息を引き取るとき、最期に遺した言葉が「ありがとう」だったそうです。
素敵な奥様だったんでしょうね。
そして、お二人の間には、島三博さんという息子さんがいらっしゃいます。
島三博氏が島精機製作所の副社長をされているようです。
和歌山のエジソンと言われている島正博さん!
どんな発明をしているのか気になり、調べてみまいた。
音の出ないゴム底の下駄
自転車の方向指示機
発電ランプのスイッチ
ハンドルを回すとそれに合わせて向きをかえる車のヘッドライト
緩みにくいボルト
などなど
そして、東洋のマジックと称賛された「ホールガーメント」
すごいですよね!!
エレキ!閃き!発明王!
これは、仮面ライダーゴーストでした・・・・。
2012年4月23日付けのニュースサイトには、週刊現代が発表した長者番付では、島 正博社長の年収は全国で9番目の2億5,000万円とありました。
今は、それから4年たっていますので、もっとすごいことになってるんでしょうね!
1961年(昭和36年)7月に島正博が知人らとともにゴム入り安全手袋(軍手)の半自動編機製造会社として、三伸精機株式会社を設立したのが始まり。
三伸精機株式会社の設立時の出資者の多くがこの半自動編機の量産と量販を重点とした事業展開を求めていたため、全自動手袋編機の開発を目指した島正博は1962年(昭和37年)2月に本社及び本社工場を移転して商号を島精機株式会社に変更。
翌月3月には現商号である株式会社島精機製作所に変更して新たなスタートを切る。
島さんは、いつもニコニコしていて、偉そうにもしていない。みんなに親切な人柄とありました。
カンブリア宮殿、楽しみです。