2016年1月11日(月) 19時00分~21時48分放送の、しくじり先生 俺みたいになるな!!に
間寛平さんが出演されます。
『すぐにハンコを押して保証人になっちゃった先生』として登場されます。
1円もお金を借りてないのに他人の借金を1億円も背負ってしまうことになったとか!
プロフィール
名前:間 寛平(はざま かんぺい)
本名:間 重美(はざま しげみ)
生年月日:1949年7月20日
身長:164cm
出身:高知県宿毛市
所属:よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京
学校:私立柏原高等学校
趣味はマラソン、ゴルフ、パチンコ、競馬、酒。
実父は、寛平が生まれる直前に23歳の若さで結核で亡くなる。
1970年 、 喫茶店のアルバイトしていた時に、店主の日限萬里子の紹介により吉本興業に移籍、吉本新喜劇の研究生になり花紀京の付き人になる。同期に桂文珍らがいる。
1974年 、木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。
1978年、同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。
1986年 、 アメマバッジを10万個作成し消費者金融に6000万円の借金。
子供は、男の子一人と女の子一人。
ミュージシャンの間慎太郎は長男。
借金
お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になってしまう。
付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。
きっかけは、26歳の頃に共演者でもある先輩芸人から「オレの借金の保証人になってくれへん?」と頼まれ、深く考えずにハンコを押して保証人になったことだそうです。
その後、先輩は蒸発。
さらに、「困ってるんやったら、お金貸したろか? ていう人がいるよ」と知人から話を持ちかけられ、またハンコを押してしまう・・・。
「ハンコを押して保証人になる」→「逃げられる」→「借金を背負わされる」→「返済に困る」→「怪しい誘いが来る」→「ハンコを押して保証人になる」という“ハンコ無限ループ”がはじまり、借金もどんどん膨らんでいったそうです。
一発逆転を狙ってアメマバッジを作るも、これも失敗により6000万円の借金をつくる。
バッチが10万個が出来上がった頃には、すでにアメマブームは去っていたそうです・・・・。
間寛平さんは、制作会社から費用不払いで「アメマ裁判」にかけられてしまいます。
アメマバッチ
借金地獄で、幼い娘と心中しようとまで考えたそうです。
妻の光代さんが必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話もあります。
借金時代
なんばグランド花月に、今ではとんでもない違法な闇金業者が、10社くらい出入りしてたそうです。
桂きん枝さん、月亭八方さんも借金をしていたとか。
月亭八方さんも、一時は1億3000万円の借金を抱えていたと告白されています。
大阪のホテルで月亭八方さんは、首をくくりかけていたそうです。
そんなことがあり、吉本が貸してくれたそうです。
そして、寛平さんも借りれるかと思ったら、寛平さんには貸してくれなかったそうです。
そんな中、あぐらを書いていたら、東京にいけと畳の目がいっているように思ったんだとか。
それで、このまま吉本にいてもダメだと思い、ビートたけしさんに会わせてくれと東京にいったそうです。
たけしさんのお弟子さんからの反対?があり、結局たけし軍団には入らなかったそうですが、たけし軍団に入るつもりだったそうです。
翌日、萩本欽一さんにお願いにいったそうです。
それで、結局、萩本さんの事務所に入るってなった時に、「今、間寛平をクビにしたら、吉本の恥や」と吉本の部長がいって、吉本が借金を返してくれたそうです。
それから東京所属になったそうです。
借金を背負わせた先輩とは?
最初に借金を背負わせるきっかけとなった先輩は誰?と調べている人も多いようですが、残念ながら誰かはわかっていないようです。
1975年(昭和50年)以降、吉本新喜劇では、借金問題で座員が退団する事態が相次いでいたという情報がありました。
借金を抱えて自殺した中田治雄さんや、後に板前に転身した伴大吾さんが有名だそうです。
その中で間寛平の先輩芸人で、なおかつ借金問題で蒸発した人物に、「あっちこっち丁稚」で、ニコニコ笑って首を振るだけの「首吉」という役名で出演していた淀川吾郎さんという方がいるそうです。
その方ではないかという予想はありました。
淀川五郎さんは、すでに亡くなられているという情報もありました。
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奥さん
奥さんの光代さんは萩本欽一さんの追っかけをしたり顔見知りにるほど大ファンだったそうです。
萩本さんと結婚をしたい!というぐらい好きだったそうですが、萩本さんの結婚を知りショックを受け、それを寛平さんが慰めたのが交際のきっかけだったとか。
人の借金で苦労って・・・・。
奥さんや家族の支えがあったからこそ、乗り切れたんでしょうね。
今だから聞ける話が楽しみです。