2016年3月27日(日)放送の、サンデージャポンで、以前「スーパーJチャンネル」で取り上げられ話題となった加藤旭が取り上げられます。
プロフィール
名前:加藤旭(かとう あさひ)
生年月日:1999年10月10日
出身:滋賀県彦根市で生まれ、神奈川県足柄上郡大井町で育つ。
学校:栄光学園高等学校1年生
音楽を始めたきっかけ
インスタントコーヒーのおまけについていたクラシック名曲CDを聞かせていたら、モーツァルトの「ホルン協奏曲第1番」やヴィヴァルディの「四季より『春』」の鼻歌を歌うように。
音楽が好きなんだと気づかれた両親は、3歳でピアノを習わせる。
すごい才能で、気に入った曲は何度も弾く。
それだけでなく、アレンジをすることもあったそうです。
なんと!!4歳の頃には、自分で、紙に五線譜を引き、思い思いに音符を書き、曲として成り立っていたそうです
4歳の頃には、オーケストラに興味を持ちヴァイオリンを習い始める。
6歳のときに、オーケストラの譜面を書き始める。
6歳と9歳の時には、作品が東京交響楽団の「こども定期演奏会」のテーマ曲に選ばれる。
10歳までに約480曲を作る。
小学3年生のときに、「小田原ジュニア弦楽合唱団」に入団。チェロも弾き始める。
中学入学後、ピアノをより深く学ぶため、三谷温先生のレッスンを受け始める。
本当に音楽が大好きなんですね。
五線譜は常に持ち歩いていたそうで、学校の帰り道、電車の中、公園のベンチでふいに旋律が浮かぶと、急いで楽譜にしていたそうです。
それが楽しくてしかたなかったと話されています。
本当にすごい才能です。
小児がんとの闘い
アレルギーやぜんそくを発症するなど、小さい頃から身体が弱かった旭くん。
2013年10月、13歳だった頃に、脳腫瘍が見つかる。
側頭葉から腫瘍を摘出する手術が決定。
主治医から「手術後は、お母さんの顔を判断できなくなるかもしれない」と言われたそうで、その事を聞いた母親の希(のぞみ)さんは気を失ったそうです。
2回の手術をし、治ったと思ったら、14歳の夏に再発。
4回目の手術を受けたが治らず、2015年2月に放射線治療を開始。
一人では立てなくなったそうです。
長い入院生活、頭痛やだるさを抱え、病院で一人過ごす時間がとても辛かったそうです。
ドアが開いて誰かが入って来てくれるのを「今か、今か」と待っていましたとメッセージにも書かれています。
家族や友達、先生が会いにきてくれると本当に嬉しくて、支えられていると感じ、「自分も人を喜ばせたい、何かの役に立ちたい」と思うように。
妹の息吹さんに「お兄ちゃんは小さい頃作曲していたから、それを生かせばいい」と言われ、加藤旭くんが5~10歳のころに作曲した曲を集めたCDを発売しようと思ったそうです。
売り上げの一部を、加藤くんのように難病で苦しむ子供たちに寄付されることになりました。
脳腫瘍の辛い治療を行っているときも、CD化がとても楽しみに頑張られました。
手術の後遺症で足が思うように動かず、目もよく見えなくなっているが、たくさんの病気と闘っている方に助かってほしいという祈りを込めて作られたそうです。
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光のこうしん
ボランティア団体からの資金援助も得て作られたCD。
タイトルは「光のこうしん」
全27曲、収録時間26分19秒、1曲の長さは約20秒〜約2分20秒。
恩師のピアニストで昭和音大准教授の三谷温(みたにおん)さん(55)が録音のための演奏を引き受けられています。
「光のこうしん」「くじらぐも」「楽しい曲」「兄だいのおしゃべり」など5〜10歳の27作品を収められています。
旭くんの曲を聞いた人たちからは、
「心が揺さぶられた」「素晴らしい音楽をありがとう」「透き通った音色が心に染みわたりました」
といった声。そして、脳性まひの息子を持つ親からは「息子はほとんど目が見えないが聞こえるようなので、息子に聞かせたい」という声も。
ラジオでは、「お母さんの顔が見たい。お母さんに会いたい。見えるようになりたいという願望を捨てたくない。」という話もされていたそうです。
自分も苦しんでいるのに、誰かの役に立ちたいと思えるなんて、何てすごい人だろうと思いましたが、でも、本当は、強い部分だけではないですよね。
そんな状況も支えられた家族、そして、前向きに頑張っている旭くんを尊敬します。
たくさんの人に、旭くんが作った曲を聞いてほしいです。
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2016年5月20日、旅立たれたそうです。
船旅という自作ピアノ曲を聴きながら、「じゅあ、行くね」と旅立ちを決めたような表情だったとお母さんは報告されました。
高校2年生。
残酷な運命です。
悲しいです・・・・。