2018年7月19日(木) 23時00分~23時40分放送の
アウト×デラックス
1年に500回けんかしていた夫婦として金児憲史・楊原京子の俳優夫妻が登場!
1年に500回・・・・1年って365日ですよね・・・。
1日1回以上は喧嘩???
というか、そんな喧嘩してたら、何回喧嘩してたか何て分からないですよね・・・。
たぶん500回は喧嘩してるな!ぐらいの感じでしょうか??
喧嘩についても気になるのですが、家庭の事情で学校に通えず働き“昭和の『おしん』とまで言われた深い過去
という文面も気になっています。
という事で、今回は、楊原京子さんについて調べてみたいと思います。
プロフィール
名前:楊原京子(やなぎはら きょうこ)
旧芸名:松永 京子(まつなが きょうこ)
生年月日:1982年4月27日
出身:奈良県
身長:160cm
血液型:AB型
所属:スタッフ・テン
8歳から劇団に入る。
11歳から13歳まで舞台に出演。
大阪のある芸能事務所に所属し芸能活動。
昔の関西ローカルの番組で視聴者との一日デート企画のコーナーに出たりもしていたそうです。
1998年のTBS系「命賭けて」で主演デビュー。当時16歳。
17歳の時に単身上京。
高校を一年生で辞め、新幹線代だけを持って、東京のタレント事務所にひとりで飛び込んでいったそうです。
すごいですよね!!
上京後は芸能事務所・スタッフ・アップに所属
2005年8月に松永京子と改名。
映画「バッチギ」、桃子役の役柄で話題に!
2012年11月、再度、芸名を本名の楊原 京子に戻す。
結婚
2006年に放映されたテレビ朝日系ドラマ「下北サンデーズ」で共演し、知り合う。
金児さんは、楊原さんの事を、最初からいいなと思ってアタックしていたそうです。
楊原さんは、なかなかOKをしなかったそうで、「彼女が準備できた時に、(彼女の方から)逆に指輪をプレゼントされました」との事。
8年の交際を経て金児憲史さん2014年9月14日に入籍。
9月14日は、金児 憲史さんの誕生日。
楊原さんが忘れっぽいという事で、金児 憲史さんの誕生日に入籍したそうです。
楊原さん自信もインタビューで、
「私、物忘れが激しくて…ニワトリって呼ばれてます(笑)。マイクをどこかに置いてきちゃったり、つけたまま家に帰っちゃったり。
セリフも終わると切り捨てちゃってもう、思い出せない。本番のあと、チェックが終わるまでセリフが飛ばないように必死です」
と答えられていました。
2014年11月に金児さんの郷里の広島の厳島神社で挙式をされました。
お子様の情報はありませんでした。
喧嘩がすごい
アウト×デラックスみました!!
喧嘩の数もそうですが、内容が・・・。
喧嘩なのか・・・というびっくりする内容でした。
喧嘩のきっかけは、些細なものだそうです。
楊原 京子さんが運転をしていて、助手席に、旦那様の金児さんが乗っていたそうです。
金児さんが、右車線の方がすいてて早いんじゃないの?と言ってしまったらしく、
そこで「降りろ」と車を下す。
金児さんは、降りるが腹がたっているので、車のタイヤをける。
それにまた腹をたてた楊原 京子さんは、歩道を歩いている金児さんをはねたそうです・・・。
1回転してこける金児さん。
少し前で車をとめた楊原 京子さんは、金児さんがたった事を確認して車で走っていったそうです。
楊原 京子さんも思ったより当たってしまって、びっくりしたそうですが、石原軍団強いなーと思ったと笑っていました。
その他、家では、金児さんは「お前」と呼ばれているらしく、「お前、ワンツーフックだからな」とよくいうそうです。
旦那さんを倒すため、キックボクシングを始めたとか。
実際に、結構殴ったりしていると・・・・。
そして、そして、金児さんが浮気をした時にどうするかが怖い!!!
何と、旦那さんのお母さんを殺・・・・・・・。
旦那がお母さんを大事にしているから、一番大事なものをと笑っていましたが・・・・。怖い・・・・。
でも、テレビで見ている限り、内容は怖いですが、仲の良さそうな感じでした。
金児憲史さんプロフィール
名前:金児 憲史 (かねこ のりひと)
生年月日:1978年09月14日
出身:広島県
身長:188cm
血液型:B型
所属:石原プロ
2000年の「21世紀の裕次郎を探せ!」オーディションで最終選考10人に選ばれ、石原プロ入り。
「はみだし刑事情熱系」でデビュー。
2018年7月17日、裕次郎さんの命日である7月17日にシングル「夜霧よ今夜も有難う」で歌手デビュー。
いろいろと調べたのですが、あまり情報がない・・・・。
2006年のブログでは、愛犬についてブログを書かれていましたが、13記事だけでした。
ロミオくん
2003年2月9日生まれ
オス
MOMOKOちゃん
2004年12月22日生まれ
メス
昼ドラ
昼ドラで検索されているので、何?と思ったら、
デビュー作の「命賭けて」の事のようです。
楊原京子さんは、私立高校に通う女の子役。
なかなかすごい役どころだったようです。
覚せい剤と援助交際が題材だったとか。
父親役の篠田三郎に殴られるシーンなどすごかったようです。
家族
お母さんは、42歳の時に楊原さんを出産されたそうです。
途中から女でひとつ育ててくれた母とありました。
天国の父達からのプレゼントという言葉もあるので、お父様は病気で
亡くなられたんですかね?
と思っていたら、
東日本大震災でお父様を亡くされたようです。
自分の中にずっと刻み続けていかないといけない事もあると、5年前の3月11日の日の事を。
あの時、
これからを思うと不安と恐怖でいっぱいで、
毎日毎日ニュースで流されるのは悲惨な映像
ばかり。
私の大切な友人もお父さんが津波に流された
という話。
とブログにありました。
お母さんの事を
いろんな苦労があったはずなのに、いつも笑顔で福々しい顔で
いられる強さ、尊敬しています。
と書かれています。
お母さんの反対を押し切って、高校を一年生でやめて、上京しているようですが、
何だかすごいですね。
お姉さんもいらっしゃるようですよ。
アウトデラックスでの幼少期の話では、
実家が居酒屋を経営していて、お母さんに小学校は休んでもいいから、居酒屋は休むなと
言われていたそうです。
配膳とかしていたそうですよ。
後は、お父さんがDVで・・・・。
鉄アレイで毎日鍛えていた。
いつか殺されると、5歳の時に泣きながら川に鉄アレイをこっそり捨てにいったという話もされていました。
笑いながら話されていましたが、もう笑うしかないよねというような感じでした。
でも、いつも、笑って乗り越えていたような感じで、強い人だなと感じました。
壮絶な子役時代
アウトデラックスの話では、子役時代、新潟にいった時に
「お前いらない」とバスを下されたそうです。
冬の新潟。目の前に日本海タワーがあったので、上ってみたとか。
子供だったから、迎えにきてくれる。私がいないと舞台も・・・と
思っていたら、Wキャスト・・・・。
結局迎えにこなかったそうです。
駅員に事情を話、お金を借りて電車で帰り、あとで返しに行ったと話していました。
昔だからOKだったんでしょうか?
今だったら、大問題のような・・・・。
13歳の時の話と言っていました。
子供だから迎えにきてくれるというか、大人だってそう思いますよね。
なかなか、厳しい時に頑張られていたんですね。
そんな感じで、舞台にたっていたので、小学校は1年で半年ぐらいしかいかず、
中学もほとんどいっていないそうです。
自分の事を小卒と言っていました。
インタビューやブログでも高校一年の途中で辞めとあったので、一応在籍はしていたけど、
行ってなかったという事ですよね。
なかなかすごいお話でした。