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火村正紀(新木場ユキ) 子宮癌でなくなていた。自身の経験をそのまま漫画にした入院ノートとは?

火村正紀(新木場ユキ) 子宮癌でなくなていた。自身の経験をそのまま漫画にした入院ノートとは?

漫画家の火村正紀さんが6月17日に亡くなったそうです。

6月という事は、3か月も前に亡くなられていたんですね・・・・。

漫画家の方がなくなると、どうしてもイタズラなKissの多田かおるさんの事を思い出します。

イタズラなKissは、好きで読んでいたのですが、途中で連載が終了し、未完のまま終了してしまいました。

まだ学生だったので、何と表現していいのか分からない気持ちになりました。

人がなくなる事は悲しい事だし、もう続きが読めないのか・・・という気持ちもいりまじり、何とも言えない気持ちです。一言でいうなら、ショックでした。

すみません。火村正紀さんの漫画は読んだ事がないのですが、どういう方だったのか知りたくなりました。

 

プロフィール

火村 正紀(ひむら まさき)
別名義:新木場ユキ(しんきば ゆき)
生年不詳(30代中盤から40代前半ではと言われているようです)
出身:愛知県

名前から男性の方かと思われがちですが、女性の方です。

妹は、個人でデザイン関係の仕事をしているとありました。

『月刊少年ガンガン』の「2Pでギャグをやってみないか?」という投稿漫画企画の11代目チャンピオン。

本人いわく、自身も相当貧乏らしく、2P漫画のネタは基本的に貧乏の家族物が多い。

その後「2Pギャグ頂上決戦 GGグランプリ」という企画に変わり、その企画内で「第1回決勝トーナメント優勝決定戦 16P対決」まで勝ち進むが、きいち(堀田きいち)の『君と僕。』に敗北。

結果は二位。

その後、『月刊少年ガンガン』2004年7月号にて『まじかるきんぐこおるとリューホー』で第4回スクウェア・エニックスマンガ大賞の準大賞(+審査員特別賞 渡辺道明)を獲得。

2006年から2009年にかけて『月刊少年ガンガン』本誌で『はじめての甲子園』を連載。

2011年には新木場ユキ名義で原作(構成・ストーリー)を担当する『シンデレ少女と孤独な死神』の連載が『ガンガンONLINE』にて開始された。

2012年には新木場ユキ名義で『行け!男子高校演劇部』コミカライズ版の構成を担当。

2013年1月末に癌との診断を受け、闘病生活に入る。

それに伴い「シンデレ少女と孤独な死神」は原作のストックがある分の掲載をもって第一部完結という扱いになることが決まり、同年3月28日に第20話の掲載とあわせて火村の急病と無期限休載が発表された。

『ガンガンONLINE』にて2013年5月16日更新分より『入院ノート]』の連載を開始した。

2015年6月17日に逝去。

9月24日に連載されていた「入院ノート」のpage.20の掲載と共に発表された。

顔も年齢も不明の詳細な情報は分かりませんでした。

入院ノートの中では、私も結婚できるかなという内容もあったので、未婚のようです。

 

漫画作品

連載
• はじめての甲子園(『月刊少年ガンガン』2006年-2009年)
• バック・トゥ・ザ・ジャック(新木場ユキ名義、『ガンガンONLINE』2010年、作画:萩原ダイスケ)※原作
• シンデレ少女と孤独な死神(新木場ユキ名義、『ガンガンONLINE』2011年-、作画:加藤よし江)※ストーリー・構成。無期限休載中
• 行け!男子高校演劇部(新木場ユキ名義、『ガンガンONLINE』、2012年、原作:池田鉄洋、作画:花沢チカ)※構成
• 入院ノート(『ガンガンONLINE』2013年-)

読切
• 家族物(2Pギャグ内 『月刊少年ガンガン』2002年5-7月号、12月号、2003年2月号、3月号、8月号、10月号、2004年1月号)
• まじかるきんぐこおるとリューホー(『ガンガンパワード』2004夏季号)
• 三中 真・演劇部(『月刊少年ガンガン』2004年7月号)
• 猫の一番弟子(『ガンガンパワード』2005年春季号)
• はじめての甲子園(『月刊少年ガンガン』2006年1月号)

 

病名

入院ノートは、自身の経験をそのまま漫画にしているそうです。

気になって読みました。

こちらから読めます。

それによると、子宮癌だったそうです。

卵巣癌で入院をし、進行が速く、ステージⅢだったと最初の方にはありましたが、お腹を切ってみたら、大もとが、子宮癌で卵巣に広がったと書いてありました。

北斗晶さんは、乳癌で入院というニュースも流れたばかり。

女性特有の癌・・・。年齢的にも他人事とは思えないです。

子宮癌は、以前は発症のピークが40~50歳代だったが、最近は20~30歳代の若い女性にも増えてきて、30歳代後半がピークと書いてありました。

入院ノートは、最後にオチをつけて、面白く読めるように書かれています。

ただ・・・・。亡くなってから読んだので、複雑な気持ちになります。

最初の部分では、「本当に死んだら困るな~」ぐらいの軽い感じが、どんどん変わっていってたり・・・最初は、まさか自分が!って感じだったんだろうな~。

なくなる前に読んでいたら、笑ってみていたかもしれませんが、辛い状況で頑張って書いたんだろうな~という気持ちで読んでしまいました。

それじゃー、火村 正紀さんに失礼ですよね。

ファンの方からも、火村先生の作品大好きでした!という声が続々書き込まれています。

私も、入院ノート以外も読んでみたくなりました。

 

イタズラなKissは、多田先生が亡くなられた後も、台湾でドラマ化もされたり、日本だけじゃなく、ファンはどんどん増えていると思います。

火村 正紀さんも、これからもどんどん、ファンが増えていくかもしれませんね!

ご冥福をお祈りします。

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